2017年09月23日

お彼岸

風に乗ってお経をあげる声が届く。誰かのためにお坊さんが祈りを捧げている。
父のために私や母は出掛けてゆく事が出来ずに、人が集まってくるのが好きだった父に、ごめんねと心で言うと、来なくていい、なんてこちらを気遣う言葉が浮かぶ。元気のある時にお墓参りすれば喜んでくれるね。・・・でも本当は、僕んとこ誰も来てくれなかった、なんてしょげそうで気になる。

お彼岸の日はいつもと何か違う。必ず雨はやんできて晴れ間が出ることは、お決まりと信じられるが、今年は金色の光にふと照らされては、また直ぐに曇天に沈み込む。人の生死について、頂き物の新しい傘の下、雨露の緑の林に包まれながら考える。なにかあまり思い詰めてはいけない気がして、遭遇した身近な人たちの死についてさえ、深く思考したことは今までなかったように思う。今朝は行く道で擦れ違った風景や会話などから自然に、人の命について思い巡らせ鎮かになった。

日常の中の小さな不都合、人との摩擦など、様々な嬉しくない事、その総ては当人に必要だから生じることなのだろうな、との思いが湧いてくる。いちいち悩んだりせず、ああ不可欠なのだと、淡々と受け取るのがいいのだろうと。大きな困りごとや悲しみについては、やはりそうなのだとしても、痛々しくて、一介のヒトとして言いたくはない。ただぽつりと、生きることと死ぬことについて、蝉の音ももう鳴りやんだ寂しげな、雨上がりの林の中で一人想う。

耳に届くお経に心を感じ、不甲斐ない自分にも禁じられていないだろうかと、そっと手を合わせる。人の縁の様は幾通りもある。きっとその可能性は何億通りもあることだろう。当人の知らぬ内にも繋がれている星の数ほどの縁を、掌に救い上げて大切に深めたり、程よく感じる距離を見出したり、人の世の愛の様々。同じ世を生きる人同士、誰をも否定できぬ気もすれば、否定する必要を感じたり、浮かんでは漂い変化する想い。

お経が美しい歌の様に聴こえて、何時までも聴いていたいように感じることがある。心の籠ったお経の声に、この世界には必要なことが幾つもあるんだな・・・、と教えられた。
散歩路に彼岸花、窓辺の庭にも、一つ咲き残り、人々の魂を慰めているようだ。
posted by はるな at 11:39| 東京 ☔| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

センチメンタル・ブルー

変わりゆく、景色哀しや、曼殊沙華・・・。移りゆく、この世哀しや、彼岸花。

今年は、都内の近所のあちこちに、早々に茎がスウと伸びて、花火の様な赤やクリーム色の彼岸花が開花して、秋分の日になる前に旬が終わってしまいそう。

街のショッピングビルの入り口で迎えてくれたのは、今年初めてのデスモンド・ブルー。懐かしい二十歳の頃を彩る音のひとつ、あの頃はJAZZを聴く人は巷にあまりなく、同世代からは年寄り趣味と鼻で笑われた。そんなもんか、このカッコ良さが判らぬとは気の毒にと、私たちカップルだけの、まるで聖域みたいな贅沢な音楽だった。その先もJAZZ好きと付き合うことが多かったから、若き日の思い出はJAZZと共に。

クッションをずっと探している、体の事情で丁度良いものをいつも、今日も、見付けられぬまま、溜息。おまけに欲しかった本も手に入らず、小さなトーンダウンが秋風に似つかわしい。覗いた店でエリスレジーナの晩夏の感傷。全く、今じゃ当たり前のキンタロ飴のよに、事も無げにこの感傷を、そこら辺の小物屋などでもサラリと流してくる。まあいいけどさ、消えゆく喫茶店、何処にでも蔓延るカフェなるチェーン店的に、扱い、軽いなぁ・・・。

公園を通って、バッタリというよりも、数十年も、いつも来ていた人だから、当然みたいに会えた人と、近頃会えなくて、常連の人たちの噂を伺う。90代と80代の私と同じで絵を描く人たち。一人は最後に在った時、初めてお茶をご一緒した。よく笑って、2時間ほどもお喋りし、とても楽しかったと言ってくれた。もう一人は、今度会った時、お茶しようねと約束していた。彼らのよく居た場所に、ポカリと秋の風が佇んでいる。きっとまた会えることを心に浮かべる。

街でちょっとした買い物をしただけで、すっかり草臥れてしまった。体調もだが、多くは心の方だ。すまし顔の店員さんと言葉を交わしても、店に溢れる新しい顔の商品を観ても、何処に行っても自分の居場所など見出せぬ感じだ・・・と一人エスカレーターを俯き降りながら、あれ、そう言えばずっと前からそうだったっけ・・・と思い出した。

幼い頃も、小1の頃も高1の頃も短大の頃も・・・、集団においてもだが、10代の頃、実家の近くの新宿の街を、デートや人付き合い以外にも、昼に夜に夜中に一人で何かと彷徨っていたが、群集の中で上手く存在できずに、いつも草臥れて店や街の片隅で、ぽつりと眠り込んでしまった。そう、忘れてた、自分はいつも、はみ出し者だったっけ。

近頃幾度か観た夢。誰も居ないような初めての何処かの街の路を、急ぎ足に歩いている。何かを探しているが、違う、こっちの路ではなかったと分岐点に戻れば、別の路も現れて、さあどっちだ、取り敢えずこっち行ってみよう。そんなシーンが目立つ。彷徨える心の表れか・・・。

一昨日の朝、美しい紫色の蝶を観た。じっくり観ようと、蝶を追い掛けたのは子供の頃以来だった。あまり近づくと怖がるだろうと、野良猫を撫でさせて貰う時の要領で話し掛けながら近付き、50センチ程の距離のところで遠慮してシャッターを切った。帰って調べてみたが、見当たらない。

2、3日前に立ち話をした顔見知りの人が、最近は皆んな、判らないことがあると直ぐにネットで何でも検索しちゃうでしょ、アタシは嫌なの、直ぐ何でも調べるって、皆んなちょっとと読んで知った気になってるけど、どうなんだろう。その言葉に、私の心が喜んだ。

そうなの、知らないままに想像したり、ずっと浮かべていたりの方が、しっくりくることって多い。紫の蝶の神秘、相当風化してやつれた羽衣、南から台風に乗って流れ着いたか、いずれにせよ私と蝶は東京の草地で出会ったのだ。蝶の種類よりも、個体と個体との出逢いの奇跡の方が大事なことだ。何でもすぐに調べることが、知識豊富なことが、良いことのように言われがちな世の中だが、ホントに万人にそうか、どんな場合もかと首を傾げる。

思うところあり、ずっと読んでいた某新聞を断紙。情報は別の発信元から、また人々とのお喋りから。世の中の疑問、意見、言いたいこと、言っても無駄と思えてしまうようなこと、諦めてしまっては時の変化の想いのツボなのだが、大事にしたいことや、自分の許容、役割を見定めたい。時の変化に抗いつつ共に泳ぐには、自分の路を自分時間に進むことだ。
コトバは似ているようで異なり、対立しているようで響きあえたりする、一つ一つはすべて違う、忘れてはいけない。

街に会いに来た、緑の林の知り合いのカラスは、私より頼もしそうだったが、いや、同じぐらいに浮いていた気がする。草臥れてきた緑や花の茂みに、セセリやシジミ、蛾たちが集う。この数年、すっかり減ってしまった蛾に会えて、とても嬉しい。どうやら都会に生きる私の居場所は、以前から片隅の小さな自然で、その有り難さ、愛しさを大切に胸に広げる。

会わなくなってしまったある人に、よく似た人に振り返る。横顔は懐かしいほどだが、真っ赤なズボンに派手なシャツ、有り得ず、極め付けは、その人なら絶対手にせぬ漫画雑誌のページをベンチでパラつかせている、ちぐはぐさに笑ってしまった。好きだった人、どうぞ元気でいてね、と微笑み歩いて行った。

さすらいの、路を照らせよ、曼殊沙華。
posted by はるな at 18:02| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

スタート!

今日はスタートラインから走り始めるにスコブル好い日だって、数日前知人から聴いた。この国の者たちに限るかは知らないけれど、誰にとってもだといい。富士山青々綺麗、もうそれだけでもイイ感じ。

一昨日、友人のバースデイを皆で祝えたこと、実家の近所のお祭りに久々行ってみたり、その帰り道に、知らなかった抜け道を今頃発見したり、こまごま大らかに一杯受け取って、作られる私、そんな風に誰も皆んなみんな。

宇宙について思い馳せれば宇宙親しく近く日常で、お茶の間会話になる日も近いのでしょう。眠りの夢世界もいつも壮大で楽しい。今朝散歩けさんぽも賑やか活気随分お喋りした。

何始めようか考えつかぬ内にも、何かが今日もまたスタートしてるんだろな、意識して願い突き進むことが佳いのか、どうなんだろう。私は何を求めているのかな、そんな簡単なことじゃない気もすれば、結構明快だったりして。

平和というコトバは皆の胸に如何なるイメージか。言葉を超えた模索を今日もそれぞれに。
みんなのスタートラインはきっと、一人分のサイズ、自然、誰と競うのでもない秘めたる宇宙。

すべての始まりにエールを贈りたい想い。マイナス・プラス、あちらとそちら、またこちら、調和バランス取りながら。
虫も鳥も木々も草も花も実もヒトも物も・・・どの宇宙にも、みんなの今日、良い日になぁれ!
posted by はるな at 11:23| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする