2018年10月16日

さよならパーティー

長い間お世話になったソファとテーブルの
今夜はお別れパーティーです

二つ対のソファのそれぞれに腰かけて
昭和中期の古い本をしばし読み耽り
お客様の匂いのテーブルで夕食を頂きます

化粧塗料の剥げ掛けた木肌は掌に心地良く
撫でる程に共に過ごした時間を伝えて呉れます

さよならの後にも私の中にずっとある
人生の中で幾度も知ったことなので大丈夫

寂しいけれどごめんねだけどありがとうだけど
今夜は楽しいパーティーにしましょうね
posted by はるな at 11:48| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

10月の曇り空の朝に

時の流れに いつしか私は変容している
少し前には そんな風には感じなかった
出逢いの記憶が刻まれて 私は作られる

あんなに欲しかったのに どうでもいい
越えてしまった私が どこか寂しく思う

今を生きるしかないが 昨日が懐かしい
今が与えられている贅沢 何を選ぼうか

慣れの果ての私 出来ることは限られて
路の先に路 その先に未知の路が開かれ

取り敢えず 出来ることを今ただやって
どんな私になるのかな そっと浮かべる
posted by はるな at 07:50| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月06日

なぜかくの

そもそも文章って何だろう。なぜ書くのだ。絵ってなんだ。表現ってなんだ。

表現の形態によって、その本意は少し違いそうだが、誰とも関りの無い中で秘かに行い、それだけで満足するところもあるだろうが、多くはそれに尽きるということもないだろう。しかし、何に向けて何を書くのか、誰が見てくれるのか、目的が明確な場合でない、漠然と突き動かされるように自ずから書く時、それは一体どこへ向かっているものなのか。

手帳、日記、誰が観るかと言えば多分自分だけのつもりで、その延長に詩や絵や様々な表現はあって、表現しきった時の達成感満足感を得る。それは日々、幾度も行われることだが、幼い日よりずっと、食事や睡眠の如く、日々の糧というものだろうか。積もりゆく膨大な量の、この詩や日記や思い付きの紙片の山は、一体どこへ向かっているのかって、それは心や魂の故郷にだろう。

そこは美しい風が遊んでいる処、闇とも光とも区別など無い、心地よい調和の宇宙、けれどそれは私にとっての調和感覚かもしれない。私が感じ、私が出会える、神さまへの、それは手紙なのだろう。絵を描く時に、ここはこの色、ホラそちらをご覧よと、呼ばれて見付けられる大切なものを描き込む。このことは書いておかなくちゃ。胸に湧いてきたこの想いコトバ、瞼の裏にやってきたこの閃きは、書いておかなくちゃ、描いておかなくちゃ。

そうして書き上げたこの手紙を、大きな優しい楽しい神さまが、私と同じ位の満足顔で、ニコニコホクホクわっはっはぁっ、と、時には静かにただ深く頷いて、心輝かせて呉れている、気がする。

これは、捧げもの。心の儘を、精一杯を、だからかく。
posted by はるな at 11:23| 東京 🌁| 日記 | 更新情報をチェックする