2015年06月28日

しあわせな時

朝、ラジオ体操をし、少しまだ眠たかったが、二度寝せずに、身の回りの片づけなどして、ずっと会っていない、シンガポールで仕事をしているという台湾の友人に手紙を書くことにした。
とても爽やかな朝。早朝に、夏を感じさせる美しい光景を見付けて、シャッターを押した。潔く枯れた、立ち姿の良い紫陽花の花と澄んだ青空。

書きながらふと気付く・・・あ、いつもより身体が楽・・・!横になったままで書くにしても、ここのところずっと、文字を書くのが大変な労働だった。うん、整体が効いているのかな。♪
恒例のラジオ番組は、今年のニューイヤーコンサートの選曲。15,6歳の頃に好きだった曲が多く、それ以来あまり聴かなかった為もあってか、まるで再生したように、もっと子供の頃よりも別な感じに、そしてずっと、世界が新しく輝いていたあの日々に、まるで戻ったみたいで嬉しかった。

手紙は不思議。最近、個展の流れの影響で、珍しい相手に手紙を書いたり、貰ったりが多いが、昔懐かしい人からの文面は、変わらぬ字体に口調、その人特有の優しさが伝わって・・・、3度も、嬉しくて6度も、読んでしまった。電話もまたしかり、ただ、うっかりおしゃべりし過ぎかけて、しまった、と立ち止まる。いけない、いけない、これ、歳を取ったせいもあるのかな。

再会の有り難さ、そのときまで少し我慢、それにそん時だって、相手の言葉を聴く姿勢でいるよう、自分によく言い聞かせて出掛けなくっちゃ。長い会わぬ時を埋めるのは、容易な訳はないのだ。私は、自分の個展を訪ねてくれたみんなに、ついハイテンションで接し、場合に免じて許して貰ったが、あれではいかんかった。少し反省している。・・・どうも表現者は、時々、自分テンションで走りがちでいけない。たまに、そういう感じの人に出会うと、おっと反面教師に、身につまされるのだ。

滑りのいい手紙のペンを置いて、友人とモーニングを頂きに出掛けた。店では少し辛かったが、散歩をしていて、いや、やっぱり先日の映画を観た日と比べると、ぐっと身体が楽で、バッタリ会った人とのおしゃべりも、朝の似合う友人との時間も、すべてが好条件に感じられ、すぐに帰らず、買い物や、さらにお茶の時間、そして、ベンチでまた更にお喋りしたり・・・。そんな、まるで多くの人が普通にこなせるだろう様々のことが、近頃とても難しい日の多い私には、とてもしあわせな時と感じられるのです。

割となんでもないような、こんな当たり前のような、小さな平和の時間が、とても嬉しく有り難く。このしあわせの心持ちを味わえること、自分はとても得しているような・・・、なんてラッキーな人だろう、と、思うのでした。
いろんなしあわせを受け取れる、そんな自分でありたい。そして、沢山のありがとうに、包まれていることに。

私が頂いた佳い時間、こんな心地佳い気持ち、佳い気分、困っているような皆んなにもあげたいな。
佳いことが、この世のどこにまでも、広がって行きますように。
人に、花に、虫に、鳥に、木に、みどりに、物に、空に、風に、地に、夢に、この世界に、心に、すべての命に。願いを籠めて、生きよう、うたってゆこう。
posted by はるな at 16:58| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

玉あじさい

昨日は、まるで夏日で、そんな中、父の誕生日のお祝いに実家を訪ねました。昨年は、紫陽花のお花、今年は小さな向日葵持って。近頃は、体調の都合でなかなか行けないので、ここぞとばかり、あれもこれもと土産を見繕い持参すると、一つ一つ説明しても、これはなんだっけ?と、何度も質問されて、何度も同じ説明をくりかえす。
身体にしろ、皆いろいろ不都合が出てきて、この世のものとして、それが普通だが、変化してゆくことへの対応が、もう少し素直で自然だといいなと、自分を思う。なんとか折り合いつけて過してはいるけれど。

玉あじさい、描きたいな。毎年この時期になると思うのだけれど、忙しさに翻弄されているうちに、紫陽花の季節は過ぎてしまうことが多いのです。今年はどうでしょう。寝転びて、イメージの世界を描き出すにしろ、旬というのはあって、想いの旬を逸すると、恋心のようにもう捕まえられなくなってしまう。あーあ、あんなに活き活きと、歌いたがっていたのに・・・。過ぎ去った残像を描く気にはなれず、輝く夏をそっと浮かべてみるばかり。
今年の私の中にある、玉あじさいが描きたいな。

整体に行ったら、今回はいつもの3倍ぐらいも効いた気がして、すぐには効力、体の隅々にまで響いてこないけど、今日あたりから、少しずつ、じわじわ佳い感じ。気付きと発展、ついつい、いい気になって頑張っちゃう癖放棄して、無理せず身体と心に耳を澄ませてじっくり過そう。

先月開いた個展に来てくださった方々に、少しずつお礼のお手紙を書いたりしているのですが、なかなか進まず、1か月ほども過ぎてしまいました。芳名帳に頂いた文字やご住所が、はっきりしない場合などは難しかったりもして、きっと、ご高覧下さった方の7割ぐらいにしかお礼状が出せないけれど、不公平になるのは嫌だなと思いながら、少しずつ書いています。

梅雨の今は、いい季節ですが、日に日に、暑くて寝苦しい夜が増えてきました。夜の虫に小さな迷惑を掛けられたり、でもそれも風物詩。何が快適かなんて、うすっぺらな気分や頭でなんか判りゃしない。
悪いようなことの内でも、マシと受け取ることもでき、いやこれは快適と受け取るべきでは、と思い直したりして、現状の不便を便利とも捉えて、有り難く過せることを贅沢としたい。

ゆっくり、ゆっくり、・・・。息整えて・・・。玉あじさい・・・。
明日は、『 日本と原発 』という弁護士の方が監督をした映画を観にゆきます。( 武蔵野市民会館→訂正 )武蔵野公会堂、昼の部と夜の部、チケットはまだあるそうです。お時間ある方は、ご覧になってはいかがでしょうか。
posted by はるな at 10:48| 東京 🌁| 日記 | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

つぶやき

この世の 全てのものに
生の意味が 託されていること
風の ひと吹き ひと吹き
そのコトバの意味の 違うこと

揺らぐ葉 そよぎの葉摺れの歌声の
手繰れば とても大きな 大きな
深い 大切な 神様のコトバ

そんな想いで 風に光に音に
影に形に色に 耳を澄ませば
時は 少しずつ移ろいゆく

やってきた 初めての時は 
雲の形のように 空に溶けては夢の内
運ばれた今は やがてすぐに風化する

あなたは もう居ない
わたしは 歳を取ってゆく

黒の切り紙のような カラスの
力強き コントラストが
葉を揺らす空を 眺める私の心を
活気づけ 励ましてくれる

時の影は 乳母車と親しかった頃から
いつも重く 私の心と体を包んだ

カーテンの埃の匂いは いつの世も
よく似て なにか懐かしい

流れる時は かなしみに満ち
この世に在ることの 暗さを
思わぬように 立っていられるように
楽しく 笑っていられるように

のし掛かる闇を 誤魔化す必要を覚え 
逃げるように 蓋をしたのは幼い日

あの頃と似た闇を 近頃また
懐かしく 受け取っている
それは憂いと 優しさを湛えて
今の私に 語りかける

時の影 風の中に潜むコトバ
いくつもの 時と親しみ
共に輝き 病み 幾たびか復帰し・・・

そして今 寝ころびて 時の声を聴こう 
遠い日に閉じた蓋を開き 今 
何か この心に見えるもの
聞こえてくるものが ある気がする

大切な こととして・・・
posted by はるな at 21:03| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする