2016年03月31日

桜まつり

連日、散歩の中でお花見しています。花のない場所でお茶( 普段ズラリと一人でカフェ勉強の人たちも、集まって青空飲み会か、この時期の屋内はヒト気がなくてホッとする。)しながらお喋りした後に、また散歩したりして、ちょこちょこ、お花見を楽しんでいます。
ソメイヨシノばかりでなく山桜や、白や薄ピンクのコブシの花、木々の麓のピクニックの人たちも皆な淡い色の薄手の服着て華やいで花のようだし、鮮やかなヤマブキ、早咲きのツツジ、山野草はスミレに、タンポポ、姫踊り子草・・・、楽しいな、風の中。
この絶え間なく萌え続ける賑わいの中に、ふと、懐かしい人たちが紛れ込んでいる気がした。この世にもう居ない人たちが、あちらにもこちらにも、笑いながらサンダル履きで歩いてる・・・あれ!・・・振り返ると居ないんだけど、花と緑のさわさわ雑踏の息吹の中に、彼らはやっぱり隠れている。
そう感じるから、きっとそうなんだね、居るんだね、楽しそう、よかった。
桜じかんは夢うつつ、優しい神さまが見せてくれる特別の景色なんだな。
posted by はるな at 18:16| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

小さな生活と大きな生活

桜も咲いてきて、普段連絡のないような人たちが、冬眠から覚めたように電話を掛けてきてくれる。そんな珍しい人たちと貴重な時間を過ごす贅沢な平和な春の日々の裏で、政治は暗い影を刻々と伸ばして、みんなみんなを飲み込もうとしている。

久々に会ったエリート大学生の甥っ子に、政治に対する意識を訪ねると、眼の前の自分の勉強の課題が忙しくて、考えている余裕がないようだった。彼の周りの学生たちも同じようだと。優秀な甥だが、大事なことに気が付く機会が何故かなかったのだ、そんな人たちが危険なニホンの世の中に溢れている。
彼らが気付くのが遅すぎないように、加減をみて小突くことが、暗雲に気付いた者たちの仕事の一つだ。彼らは遠回りせずに、現状の危険に気付くだろう。

昼間、思い切り小さな狭い自我に従い時間を過ごした、そして今夜はへとへとになった身体を休ませながら、岩上安身ちゃんねるの実況中継で、国会前のデモの様子に想いを重ねている。
小さな自分に叱咤しながら、グローバルな視点を通して、声を上げる何万人もの人たちの真剣な行動が、心に訴えてくる。小さな現実が大きくなって、自分を押し潰そうとしても、同時に、大きな現実も、自分を取り囲んで切り離すことは出来ない。だから、私にとって、どちらもシカツ問題なのだ。みんなにとっても同じだ。

自分を囲んでいるような小さな現実に埋没したら、世界を半分しか眺めずに誤解して、知っていると勘違いして満足しているようなものだ。見えることと見えないことは果てしなく在るかもしれないが、知ろうとすることは大切なことなのだ。
国会前の集会は、夜10時近くなってまだまだ熱く続いている。部屋の中からも暗雲に向かって声を上げる人たちの様子を覗いてみて欲しい。

いつもそうだが、ハタチ前後の覚醒した方々のスピーチやコールに、心強い励ましを頂く。ああ、私も咲いてくる桜の中で萎えている場合じゃないと。
posted by はるな at 21:57| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

くすりゆび

約束を交わしたのは 短い小指どうし
なにかの勘違いは お決まりの物語
置き去りに誤魔化す者 きちんとしたい者

うそはイヤだ 根っこの無い安易な軽口は
その答えは 信じる者が愚かというワケ

眩しい左手の 偽りのない一片の伸びやかな
天使の羽根が のた打つ変則の心臓を癒す
ササクレた傷口に そっと薬を塗ってくれる

…しあわせは 荒れた胸の整地から始まる 
posted by はるな at 10:31| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする