2016年12月24日

ラブピースメリークリスマスローズ

メリークリスマス。このお決まりのパッケージングのような言葉の中に、どこまでも温かく深い愛を籠める事が出来るものだと、静かに想いを広げながら、今夜の日記を書いています。
首から、遠い昔、父がプレゼントしてくれた当時はやりだったキャラクターの、ラブピースグッズの鏡のペンダントが胸に掛かっています。経済状況が悪くて今年のクリスマスはこれで勘弁、と言われ、姉と二人で恐縮して、たいそう有難い気持ちで喜びの気持ちを父に伝えたことを記憶しています。

皆さまは今宵いかがお過ごしでしょうか。子供が大きくなると、もうクリスマスでもない、なんていうクリスマスごっこの二ホン人も多いでしょうか、私はクリスチャンではありませんが、子供の頃からずっと両親にメリークリスマスと贈り物を送り続け、パートナーや身近な大切な友人などにも日頃の感謝を籠めて、このロマンチックなムードのイベントにかこつけて、ありがとうを伝えてきました。この習慣の感覚は、通った地域の幼稚園がたまたまキリスト教系だったのですが、その影響も大きいと思います。

本日私は、沢山の大きなプレゼントをいただきました。銀色ハ〜トの素敵な手袋や、お日様の下の散歩の何気ない優しい平和な時間、びっくりどっさり健康食品の大袋、ジーンズを履いたサンタからのヘルシー・スペシャルディナー。
そしてこのところずっと、有難いこと尽くしで、多くの方々から励ましを受け、その中で大きなお別れもありましたが、そのお別れを心で受け取ろうとすればするほどに、どこまでも愛は満ちて、遂に今日には、これまで数十年、人と人との間のあちこちに出来て悲しい顔のままだった問題の、雪解けの春ように硬い氷が解け出した気がしたのです。

遠い所へ去っていった人が切っ掛けを呉れ、その事とその人に思いと心を重ねて私が投げかけると、ずっとこの機会を待っていたというように、停滞していた幾筋もの時が清流のように流れ始めたように感じられました。沢山の人の間で、それぞれに事情もあったし誤解もあったでしょう、反省もあったでしょう、数十年ぶりのような電話の向こうの懐かしい声を聴き合い、身体は弱っても昔の儘のような若々しい声で、幾つもの和解の嬉しい明るい光が広がって・・・、今年は私にとって、なんて素敵なクリスマスイブでしょう。クリスマスパワーでしょうか。去りゆく人も嬉しそうに微笑んでいるのが私には判り、悲しみよりも明るい想いが満ちるのでした。

ニホン人の脳天気なお祭り気分好きに、あきれ顔の人も多くおられるでしょうが、私は長所であり短所であると思います。利権が絡んだところに宗教の悲惨さ哀しさを、みな憂うところでしょうが、自己本位ながらも様々の宗教の利点を称えて、軽い気持ちであれ、そこに楽しい思いを重ねて便乗するということは、平和への一歩から生まれる大きな道ではないかと思うのです。脳天気な二ホン人こそが出来得る和の方法として、広がってゆくといいな。まずは楽しいイベントから、身近な人への感謝と持て成しから、そしてそこから幾つもの垣根を越え何処までも、人へ、モノへ、はるか遠い幾つもの世界へ。

人にはその人の出来ること、その人にしか出来ないことがある、と、近頃よく思うことです。私には、小さなことだけれど、私にしか出来ないことをやっている、そう思えて嬉しい今宵です。あまり上手く体を動かせない私が、皆のように大して役に立てず情けなく申し訳ないと嘆いたら、サンタクロースの一人が、今やれることをやればいいんだ、君にしか出来ないことを十分やっているよ、と励ましてくれて救われたのでした。

クリスマスなのにバラ園の秋咲のバラが愛らしく微笑んでいます。クリスマスに咲くので、クリスマスローズと云う名の植物とは違うけれど、やはりそう呼びたくなります。ベランダのミニバラやノゲシ、ボンボリーナと私に名付けられた小さな花も、部屋の花籠のみんなも、つい惑いそうな私を手品の技のように元気に笑顔にさせてくれるのでした。
私は少し長いこと悲しかったけれど、私をロシータと呼んでくれる人に、小さな王子様のあのただ一つのしあわせなバラ花のように微笑みを返し、偽りのない現実でありますようにとクリスマスイブの今宵ささやかに祈るクリスマスローズです。

仏さまもクリスマスの人の心に満ちる平和の花のような心を、ラブピーススマイルで楽しんでおられるでしょうか、そんな気がしています。合掌・・・。☆
posted by はるな at 22:48| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年12月22日

そら

雨が降ると時々 人の心を思う
泣いているのかな って

あの人は 子供のままのように素直で
心のままに しょげちゃうし機嫌良かった

そら 雨が止んだよ さっき褒めたせいかな
もっと晴れてくるといい 心を映す そら模様


posted by はるな at 12:12| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

生きるのは自分

日々学びの嵐。体と心、これまでの数倍は押し寄せる。一つの節目か総集編か。
人の出入りも激しい、出より入りが。厳しい状況の中で、有難きの目まぐるしいほどの連続。
腕にはお顔を覚えていない方からの手作りのブレス、頭には代わる代わるに、集まってきた綿帽子の花束、おにぎりやお野菜やお魚や、働いてくれる機械たちや・・・。

恩師から花籠が届いた、感激。強い風の中で戸惑う私を慰める、沢山の暖かな人の顔や心のような暖色の花々、元気を送り込んでくれる良い香り、思い切り吸い込む、思い出が寄り添うように重なって現れる。

ガーベラは悲しんでいる人に私が贈った花、そして逆のこともあったね。トルコキキョウは希望を失った時の思い出。ロシ〜タと私を呼んだ人。希望の春のマンサニージャ。このランは当時、結婚パーティーの定番だったね。カーネーションえとせとら。アイビーの思い出はもう居ない知人と、仲良しの友達と。この大きい葉っぱも確かエエト。でもこの背高の緑はお初だっけかな。・・・

沢山の花々に似た人の言葉が、強く星のように心に届き輝く。その言葉の多くはまるで示し合わせたように根っこが似ている。一体幾人が近ごろ私にそう言い放ったろう。7,8人?10人?もっとか、そして父も床の中から力強くきっぱりと教えてくれた。

そうなんだ、誰もが。惑う私に今必要な言葉。生きるのは、自分だよ!と。この教えを大切に生き抜こう。☆
posted by はるな at 21:17| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする