2017年09月30日

家族の肖像

うっかりした。鍵を忘れて出掛けたら、居る筈の相棒が外出、締め出し食らった。朝から友人に買い物を付き合って貰い、たっぷり買い込んで戻ろうとしたらこれだ。困った・・・。先週、お茶に誘ってくれた心優しき近所の知人に、もしかしたら頼れるかしらん・・と電話したら、家にいらしてください、と返して貰え、訪ねれば、ご親戚が集まっているさなかであった。いや、前もって聞かされていたのに、どうぞと受けて下すったので、のこのこ訪ねて行ってしまった。

家族の団欒に紛れ込む、部外者私一人、しかし図々しく何となく溶け込む。パリの旅の時もそんなことが多かったし、思い返せば、そういえば私は昔むかしの子供の頃から、そんなところがある。内気で人見知りだったり、人一倍人付き合いに気を遣うクセに、ちゃっかり者で厚かましい。ふと気付くと、自分だけ隣のクラスなんかに潜り込んでいる。なんかおかしいナと思いながら、最初は遠慮しながらも、その内馴染んでのんびり寛いだりしている。

今日お招きいただいた世界は、私をとても楽しくさせてくれた。広いリビングに、知人のお姉さんやお子さん、そのまた可愛いお子さんら、わんちゃんやら、お母さまやら、私と時々お茶したりする息子さん、旦那さんも登場して、同じ場所に居るけれど、私ばかり観客みたいな感覚。舞台の登場人物は、ちょい役の人や、出ずっぱりの人や、舞台に上がったり下がったり、観客の私も即興のセリフで参加させていただいて、部屋のあちこちに嬉しいことに、私の描いた小さな絵が飾られている贅沢なこの舞台の、お昼〜午後の家族の寸劇をまったりと楽しませていただいた。

勝手なものだ。体調を配慮して下さって、お昼にご馳走になった釜飯御膳を、幾度もお椀によそって頂くと美味しく平らげ、隅に敷布、枕、掛布をセットして下さり、私は甘えて横になるとその内、うとうとと昼寝までしちゃって、なかなかここまで図々しい人間も居ないかもしれないなぁ。遠慮がちな礼儀正しき方々や、私の母などにこんな話をしたら、思い切り非難を受けそうだ。

この劇の中心は1歳と2歳の小さな子たちで、彼らを巡る大人たちの様子が、私にとっては日常でなく、あまりに新鮮で、また懐かしく自分の幼児時代のことなども思い出され、親の立場、叔母さんの立場、おばあちゃんの立場、そしてそれはどの家族も似ているようで、きっと全く異なるそれぞれの世界で、大人と子供、幼児や赤ちゃん、私は自分が何処まで行ってもあまり変化しないものだから、このご家族のやり取りを拝見し、あれこれ勉強になった。そしてとても幸福な気持ちを味わわせて貰った。

壁に寄り掛かり、久しぶりにペンを走らせて、拙い線画が紙片に描かれた。私も含め、ほぼ10人も登場するリビングの舞台劇、その一コマをそっと記してみた。ようやく締め出され状況が落ち着いて、みなさんにお礼を言って美しき舞台を後にすると、子供が大好きといういつもオシャレな知人と、大人の大きな赤いサンダルを器用に引き摺りながら、2歳になったばかりの女の子が、玄関先で手を振り見送ってくれた。振り返ると、四つの親し気な星の様な掌が煌めいている、幾度振り向いても、遠く離れてまだ、笑顔と共にひらひらと楽し気に揺れているのが見えた。

見上げる高い秋空に西日の雲が、まるで素敵な家族の劇と共に、私に余韻をプレゼントしてくれているようで幸せな帰り道だった。・・・その余韻が今もまだずっと、心に残っている。
posted by はるな at 21:13| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

みんなで♪

人社会の喧騒の片隅に そっと居る
空気清浄機が サスウ〜と息を吐く

実家のガス台も 私の鼻うがい機も
同じ顔した 初顔が笑顔でお目見え
冷蔵庫も湯沸かし器も 先代似
お別れの時に ありがとう言い忘れた
思い浮かべて 一人お礼を呟く

猫の譲渡巡る 人々の愛ある働き
私は猫の置物の譲渡に 心忙しい

ひつじが一匹 ひつじが二匹・・・
私を笑わせてくれる 大好きな世界

眼鏡にエプロンに美味しいごはん
マイペースなカメラに時折振り回され
遊んで貰い 毎日楽しく選ぶ洋服
首飾りバッグ 小さな朝顔おはよう

シジミチョウ スズメ野鳥たち
ぬいぐるみだのパソコン 眠りの夢の国
そして人達との付き合い 課題多く

私には みんなみんなみんな
みんな親しい みんなみんなありがとう
posted by はるな at 10:42| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

お彼岸

風に乗ってお経をあげる声が届く。誰かのためにお坊さんが祈りを捧げている。
父のために私や母は出掛けてゆく事が出来ずに、人が集まってくるのが好きだった父に、ごめんねと心で言うと、来なくていい、なんてこちらを気遣う言葉が浮かぶ。元気のある時にお墓参りすれば喜んでくれるね。・・・でも本当は、僕んとこ誰も来てくれなかった、なんてしょげそうで気になる。

お彼岸の日はいつもと何か違う。必ず雨はやんできて晴れ間が出ることは、お決まりと信じられるが、今年は金色の光にふと照らされては、また直ぐに曇天に沈み込む。人の生死について、頂き物の新しい傘の下、雨露の緑の林に包まれながら考える。なにかあまり思い詰めてはいけない気がして、遭遇した身近な人たちの死についてさえ、深く思考したことは今までなかったように思う。今朝は行く道で擦れ違った風景や会話などから自然に、人の命について思い巡らせ鎮かになった。

日常の中の小さな不都合、人との摩擦など、様々な嬉しくない事、その総ては当人に必要だから生じることなのだろうな、との思いが湧いてくる。いちいち悩んだりせず、ああ不可欠なのだと、淡々と受け取るのがいいのだろうと。大きな困りごとや悲しみについては、やはりそうなのだとしても、痛々しくて、一介のヒトとして言いたくはない。ただぽつりと、生きることと死ぬことについて、蝉の音ももう鳴りやんだ寂しげな、雨上がりの林の中で一人想う。

耳に届くお経に心を感じ、不甲斐ない自分にも禁じられていないだろうかと、そっと手を合わせる。人の縁の様は幾通りもある。きっとその可能性は何億通りもあることだろう。当人の知らぬ内にも繋がれている星の数ほどの縁を、掌に救い上げて大切に深めたり、程よく感じる距離を見出したり、人の世の愛の様々。同じ世を生きる人同士、誰をも否定できぬ気もすれば、否定する必要を感じたり、浮かんでは漂い変化する想い。

お経が美しい歌の様に聴こえて、何時までも聴いていたいように感じることがある。心の籠ったお経の声に、この世界には必要なことが幾つもあるんだな・・・、と教えられた。
散歩路に彼岸花、窓辺の庭にも、一つ咲き残り、人々の魂を慰めているようだ。
posted by はるな at 11:39| 東京 ☔| 日記 | 更新情報をチェックする