2018年06月30日

愚痴の昇華

なぜ自分ばかり こんなにも辛いことを
いつも負わされるのだろう って 
そんなこと もう当たり前に流すけど
やっぱなんでよ って時には壊れかける

うんいやみんな 似たり寄ったりだろな
しかし ふと比べてみちゃう周りと
小さな世界の中 ちっぽけに大きく
そうだね自分は 変人て奴なんだろ

判ってるけど こんなに辛いこともないな
だらだら汗をたらしつつ 暫く俯いてた
誰も知らない知ろうとしない 独りで
しょげるって防衛本能 自分は味方に

自分に素直になれたなら 結構贅沢大丈夫
自分には自分が居るもん 頼もしいね
こんな儀式を人知れず 何万回も越えて
人は自分を作ってゆく 許してゆくのだ

今日は本当に厳しかった 自分に愚痴り
頭からシャワーで流す 腑に落ちぬまま
そして慰めの閃きが 気持ちよく頭に響く
総ては 自分のだけのスペシャルだと

大切に受け取ろう 誰も受け取れないもの
辛いことも嬉しいことも 自分だけの
様々の思い出をしっかりと この胸に
やがて大きく役立つ 誰かと出会うだろう

大丈夫だいじょうぶ 今宵誰かの心を 
この愚痴が 小さく救ったかもしれない
誰かの真っ直ぐな悲しみに触れ 自分の心が
励まされた時のように 広がってゆくだろう

少し幸せになってきた ありがとうと呟いて
おやすみなさい あしたは明日・・・
posted by はるな at 22:46| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

星に願いを☆

今朝も海風が強い。潮の香りはないけれど、イメージではこの風、海岸にいる気分。1年、海に行っていないけど、見えてくる聴こえてくる、何処に居ても海岸、窓を開ければ海の家。

7月7日も近づき、街のあちこちに七夕飾りを観るようになりました。毎年、ペンや短冊が用意されている所で、一枚か二枚、メッセージをぶら下げてきます。
神聖でありつつ遊び感も抱いているのは、ニホンの行事に参加する多くの人たちの傾向で、先ずお賽銭で、その後は縁日 ♪ という調子、行事は儀式の決め事ばかりでなく、心が楽しまないとね。

今朝の散歩で、風に踊る七夕飾りを眺めました。みんな、いろいろ描いてるなぁ。世相を映す鏡の様な、一人ひとりの願い事。今年は大人たちの多くは、世の中の平和を心に強く抱いている様だ。子供の願い事は具体的にシンプルなのが多くて、どうも愛らしい。誰のどんな願い事も真っ直ぐで人間らしいな。

さて、私は何を願っているだろう・・・。毎年そうなのだ、願いを一つ書けと言われると、考えてしまう、真っ白になりながら数分間、自問自答して・・・、そうして、そ〜っと書きかき描き・・・。ソラに届く前に、立ち止まる人の眼に届くといい、そんな願いも浮かべつつ。

みなさんは、どんな願い事を心に描きますか、魔法のランプから出てきた大魔王に頼むのと、七夕祭りのお星さまに願うのは、ちょっとばかり気持ちが変わってくるかもしれませんね。
ショーンの他はみんなピザ、ショーンは赤いスポーツカー、マンガの羊の話です。
一人ひとりの心は、どれも尊いものですね。人の心も、人以外の心も、すべての心が尊ばれますように・・・。
posted by はるな at 10:10| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

♯シャープ&♭フラット

誰しもそうかは判らないけど、幼い時ほど多感で、つまり可能性は開かれていて、そして目にするもの聴こえるも、など様ざまの眩さによろけながら、必死に細い息をしつつ、幾つも幾つもの外敵と折り合いを付け乍ら、未来に向かい腕を伸ばそうとする。

聴こえてくる、家の中の物音や人の声、ママの鼻歌、はたきパタパタ箒で畳みを滑らせる音、夕食時カチャカチャみんなでお茶碗鳴らしてる音、時々私を覗く笑顔の人たちの掛けてくれる言葉、賑やかなテレビマンガの主題歌。私は自分で寝がえり打てない赤んぼで、この世界からは蚊帳の外、沢山受け取っているのだが、誰とも知的な会話はできない、仕方ないけど寂しいな、多くの動物たちと同じように、大人の人に見出して貰えない。

家の外から聞こえる・・、庭の虫の音、遠く近く犬の声、靴音、色んな人の声、楽しそうな子供たちの声、何時までも続く立ち話の大人たちの声、窓の向こうの車、少し向こうの大通りの川を流れゆく車たち、少し行った駅に近づくほど賑わう喧騒、空の音、静かにゴーゴー轟いている。

・・・この世に生まれてからの沢山の時代を思い出せるから、焦点絞って幾つも書ける。この時期、テレビからこんな音が聴こえてきたとか、映像や主題歌などなど。陰気で喉の痛くなる大人向けの時代劇。本題は詰まらないけれど、冒頭の音楽だけは素敵なのは沢山ある。私の耳を通して印象深く、お気に入りとして残っているのはどれも、ちょっと憂いあるメロディー。

子供って、咲いた咲いたのチューリップの歌より、背伸びした位の感性をもっているから、15歳にもなれば粋がって煙草やお酒を試したくなると同じで、大人びた渋い曲や、小学校に通う年上の人たちが歌うようなのに憧れる。
たしか赤んぼの頃だったか、シャープさんフラットさんというタイトルのテレビ番組を大人が観ていて、シャープの意味も知らず、言葉の響きがカッコイイなと思っていたな。

3歳の時に、近所のおばさんのピアノの先生の所に通わせて貰ったから、シャープだのフラットだの記号を教わったけれど、その記号が点く曲を与えられるには、とても単純な、咲いた咲いた程すらも印象的なメロディーの無い、味気ない音符記号を何十ページもクリアした後で、早い子は一日で駆け抜けるようだが、のんびりの私がようやく、悲しみに満ちた旋律のエリーゼのためにまで到達した折には、大分うっとりとした気持ちで練習したものだった。

この曲は、フラットから所々、転調してドラマチックに明るい日が差す。大分自分好みだけれど、私の前を行く幾人もの友らから、幾度となく聴かせて貰って耳慣れていたし、私などやっとか、という負い目すらあって、折角のうっとりも大分捻くれてしらけ気味だった。

転調好きの子供は多いように思う。小学生になり、一緒に皆で歌う時、転調箇所のある曲だと、多くのロマンチック好きな女子や、不真面目な男子さえ、テンションが上がっているのを感じた。ことに大人びた背伸びも爪ま先立ちの歌となると、堂々と豊かに大きな合唱になるのだった。

16歳の頃に心酔したショパンや、遠い赤子時代から、この憂いに満ちたメロディーたちが、私の内面を大いに育ててくれた気がする。それは郷愁といった甘い哀しさで、自分の体験と共に、未知の美しい世界の景色たちが、呼び合うように心に広がってゆく。

シャープ&フラット。朝が来て昼が来て夜が来て、空も大地も水も、物も景色もせいぶつも、歌も絵も風も、出会いも夢も想いも、みんなみんなみんな、シャープ&フラット、絶妙な調和を保ち、繰り返し繰り返し繰り返し・・・・、きれいだなぁ綺麗だなぁキレイだなぁ。♪
posted by はるな at 12:24| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする