2017年09月05日

コップ&カップ

6月に不思議時間の中で出会って、なんかそのまま普通〜の感じに仲良くなっちゃったタイ人の女の子と、再開してランチした。彼女お勧めパスタのお店で、美味しい茄子のスパゲッティーのセットを頂いた後、近場の自宅に招いてくれた。

4月に知り合って、よく考えてみたら半年前に見知らぬ同士で、何故か小一時間お喋りしていたことを互いに思い出した不思議な偶然の、少女の様なお姉さまとも、何だか普通〜の感じで仲良くなって、やっぱりそっち方面に向かう時は、いつも電話して何処かでランチして、その後は自宅に招いてくれるのだった。

基本主婦で、パートなんかしたりしなかったり、子供も居て、優しい旦那さんとご一緒に、一軒家のお家でのんびりもしたりして、・・・という、思えば普通なのかもしれないけれど、それは私の周りには、これまであまり登場しなかったタイプの人たちで、とても新鮮。そんなご家庭に招かれて、親し気に寛がせてもらっていると、何やら私まで、そのような暮らしを営んでいる錯覚に陥って面白い。

今日はタイ語を少しばかり教えて貰った。耳慣れない発音に心ワクワク。コックンカッ=ありがとう。お初の日タイ辞書を見せて貰えば、この発音が、コップ&カップという感じに発音すると書いてあった。ちょっと無理があると思いつつ、頭にインプットされた。5月にブラジルの友が教えてくれたポルトガル語と同じに、使う側の男女の違いで言葉が変化するのが面白い。ジュテームも男用女用教わった。慣れないコトバは時間が経つと、耳に残る音が混乱してくるから、ありがとうと言おうとして、あいらぶゆう言っちゃったりして面白い。

夏休暇でタイに帰省した時のお土産を頂いた。象さんのポシェットとバラの蝋燭。私からのお土産は実家の近所の、幼い頃から慣れ親しんだ、はやしやの煎餅。今日は彼女のために、インドの衣装に70年代風アメリカンなベルトとバッグで出掛けた。首には、父や男友達が呉れた何処かの国のお土産のペンダント。我ながら以外にトータルでマッチしている。もう、いろいろ楽しく交わればいいと思う。どの国の文化も、どの国の人も、皆素敵だ。尊重し合ううち、フルーツバスケットになってごちゃ混ぜに楽しくなるのだ。

今日は、タイ語でコップ&カップ、ありがとう!お休みなさい、は何て言う?と聞いたら、皆んなお休みなさいとか、いちいち言わないよ、日本人は挨拶が好きだね、って。・・・つまりそれだけ、考え過ぎたり気を遣ったりし過ぎなんだろうな、気苦労多いねニホンジン。だから、挨拶して誤解を和らげたりしてバランス取ったりするんだろな、と思った。でもね、挨拶って、いいもんだよ、ホッとするじゃないの。心を籠めた、ねぎらいの言葉って素敵と思う。そして、挨拶の要らない気安さもまた、素敵に思う。自分はニホン人で、やっぱり挨拶は好ましいほう。

今日も、一日、皆さまお疲れさまでした。朝夕涼しくなりました、風邪ひきませんように、心地よい虫の音に包まれて、おやすみなさい、どうぞ良い夢を・・・。
posted by はるな at 21:32| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

もさくの はなうた

今日も常に 体ガタキシ 歩み泊まり 生きる
避けられぬ人社会に 共通言語をもって 歩み寄り
和を試みつつ 互いの誤解は絶対条件の 健全なるルールの内
勝手な憶測 思い込み 様々な視点が見出した 虚構の真実

この小さな手で 何かが出来そうだと 今なりに考えあぐね
見付けかけては 否定して 時は移ろう 繰り返し
人の居ないかの場所で また人の賑わいの中で 多々感動を覚え
探し物の本質の欠片が 見え隠れ 一体 我ナンピトなんだ

半分くらい万全でない散歩の中 思いがけず 大丈夫だと言われる
それこそは最高のシチュエーションかもよ なんて 優しき笑顔で 
この人の言うことだから すんなり心に届き 気持ちよい
弱っているときは 自然 受け身になっている その時の学び
立場は一瞬の風で逆転 お互い様に おもんばかりを発揮し合う

素の儘に語れとの提案に 安堵を覚えるが 遠慮の地平図れるだろか
みんな立派そうだが 外聞気にせぬ姿雄々しく けれどこの胸に疑問多く
いつも?だらけで 社会の外側に居るようで 社会にも我にも自信持てず
ヘタな深呼吸 意識しながら息ついて 足元の草花虫の営みに 光仰ぐ

風よ 我 あなたほど 生儘には語れず 溜息 耳穴より大気に浮かべる
出来ることは 今を生きること どこへ行くか選ぶのは自分で
いじけてるのかな この人に大丈夫だと 太鼓判貰えたらと 変な贅沢
もうこの世に この我ワタシがあることばかりで 充分の筈なのに

千差万別三者三様の 三つ子の魂 それぞれの資質 与えられた課題
手探りの内に どんな時であっても 求められるのは 共存の模索

ワタシの如き 社会の役立たず者でも この世はいつも 微笑みかけていて
・・・ ちょっとばかりの 赤裸々なる はなうた ・・・蝉の音の美しさ 
posted by はるな at 14:30| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

おっと

眠り過ぎたかな。スリープモードの中で忙しく色んな夢を観た。気候天候は湿気にむせぶ日々だった気がする。夢の中で眠りに就いて観る夢はまた、より拍車をかけて忙しく多彩で、感動を繰り返していた。眠りから覚めた夢に戻り、思い立ちては思考混沌、はたらき掛けては希望を見付け、そしてまた消沈、その巡りの中で変化してゆく時の姿を淡々と眺めている。

毎朝、スイと会いに来てくれるトンボの湖水色の眼と、撫でさせて貰った透き通った羽、かなり草臥れた美しい、眼の前に幾度も泊まっては模様を見せてくれる、背中のワンポイント青色に光る縞の蝶々、小さな体が作っている素晴らしいデザインの、朝日に輝く蜘蛛の透明な建造物、舞い降りてくる愛らしいカラスや鳥達の瞳や仕草、語り掛けてくれる草木花虫と挨拶する内に、少し何かが整ってきた。・・・

そして夢の中で沢山の人たちと知り合い、話しました。中学生の女の子は多忙な時間の中で長い返事の手紙を呉れ、人生で培ってきた大切な想いを伝えてくれました。長電話に付き合って、意見を呉れた気の置けない間柄の人たちの内、私が何とかしたいと思っている事に対して正反対の立場に立たされている人も居て、彼らなりの言葉を呉れました。表裏はいつも一体なのでしょう。大事なことは、意見や立場は違うのが当然ということです。

人前で発表するのが誰よりもほどに苦手だった私が、昨日などはマイクまで持って大勢の前で、2,3分もの間、昼と夜、南の土地と西の土地とで、即興に喋るのでした。やはり話下手であまり上手くは表現できないのですが、苦手だから仕方がないと割り切ることにして、小さな克服と日々の少しずつの変化です。

模索は深くずっと続くのですが、あまり眠り姫をやっていても飽きてしまうので、ここらで起き上がることにします。眠り過ぎると、このまま夢のカオス内に、適当に誤魔化されて過ぎ去ってしまいそうで。
甥っ子がヨタヨタ歩いていた1歳の頃、ちょっとバランスを崩して転びそうになっては、「 おっと、あぶない・・・!」と自身に呟いていたのを思い出します。赤ん坊の頃から何かと大人びた言動だった彼も、沢山、大好きな勉強とスポーツに励み、随分立派に成長した様子です。

若い人たちからも年配の人からも、同輩からも先人からも、そして何より人以外のものたちから、静かで大いなる多くのことを教わりながら、夢の外側で学んでゆきたい。
いえ、此処もまた夢の内か。おっと。
posted by はるな at 10:37| 東京 ☀| 日記 | 更新情報をチェックする