2017年08月12日

ロバート ♪

帰郷の前に広島の平和公園に立ち寄ってみるワ、近所の友人に旅立ち前の駅前モーニングに誘われる。あ、雨が降ってきた。そう思っていたら、カフェの軒下に、先日暑中見舞いを呉れた友人が偶然に現れる。3人とも知り合いなので、店先で立ち話、その後で私の住処にさっき置いた旅行荷物を取りに行くのに、やって来た友の大きなビーチパラソルのような面白い傘を借りて二人で行き、店に戻ると別の友人が加わっている。あれえ!こちらも雨宿り、4人皆知り合い同士。旅を急ぐ友を私の傘で駅まで送ってゆく一人を待ち、雨が止むまで3人でティタイム。私にとって偶然会えた二人とも、つい最近に、近々会おうと言っていたのだ、雨が招いてくれた再会、嬉しかった。

その帰りに、ある大事なことに直面し、ああ、こんなことは以前にもあったことだと思い出す。ブログなどに記し、それで済ませてしまっていたこと。なんの解決もされず、私の置き去りの宿題は、時間をくぐって再びやってきた。少しばかりその事ではたらきかけると、やや分かってくれる人らの心を感じ、また、自分の立場を守るためなのか、矛先を見当違いに疑問を浮かべる私に向ける人もいて、いろいろ人間を学ぶ。この際、感情的にならず、淡々とやるべきこと、やれることをこなしてゆくことだ。中学時代の旧友が、この話しに真摯に付き合ってくれ、大変励まされた。
と、そんなことをテーマに今夜ブログに書いてみるつもりだった。けれど、日記は別の内容、ロバートに代わった。

この半年ほど、玄関の内側に置かれた土人形のことを、ほぼ毎日一度は気に掛けてきた。隣人が昔から持っていた物だが、外に置かれ風雨にさらされ、ペンキが剥げて観るも無残な姿になっていたのを、半年前に見かねて私が救出したのだった。人形はサイゴウドンということで、軍服に剣を持ち三白眼で空を睨んでいる、それが所々に残るカラーで推測できる。外で辛かったろうと、まずお茶を上げ、おやつを上げ、座布団を上げると、少し安らいだように感じたが、どうも伝わってくるものが良くない。手放すことも考えたが、その前に綺麗にお化粧しなおしてあげることにした。何人かの人に、それがいいよと後押しされて、ようやく本日そうすることにしたのだ。

アクリル絵の具で少しばかり綺麗に塗り直してあげるつもりだった。それが、人形と対話しながら筆で色を乗せてゆくと、数時間も掛かってしまったが、寝転がった姿勢での作業は、このパソコンのキーボード打ち込みのように、眼に負担が掛かるのだが。それ以外はちっとも草臥れず、むしろ楽しい時間だった。絵を描くのと同じで、やはり対話なのだが、何処に何の色が欲しいか、どんな服を着たいか、どんな髪の色、形、眼の色が好いか、人形本人に問いかけると、すらすらと教えてくれた。勿論、私の好みもあり、二人で相談しながら着せて行ったのだ。

仕上がったのは、明るい緑の眼、ブラウンの髪の青年で、オレンジ色のアロハシャツみたいな花柄の服に、若葉色のベルト、濃いピンクの靴、片手で引き寄せているのは地から元気に生えている草の大きな花、片手に泊まっているのは青い鳩、シャツのボタンは黄金の豆で出来ていて、鳩が美味しそうに啄んでいる、と、そんな人形に変身した。足の裏側も、大地の土、緑、華やかなピンク、地球と空と水、平和の青色で飾った。むっつりしていた口元はニッコリとして、彼は満足げだ。自分の良いように仕上がるようにしてね、そう言って色付けしたので、これが彼の望んだ姿に違いない。

風化した姿の時は嫌そうだった隣人に、再生した姿を見せると、楽しそうに笑い、誰だこれは!ロバートじゃないか。それでロバートは誕生したのだった。
もう大丈夫だ、養子に行くか、留まるのか、自分で好いように決めなさいね、ボブ、ロビー、ロバートや。
posted by はるな at 21:16| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

心地良い文章

この数年のうちに読んだもので、これはイイナと感じられた文章が幾つかあった。どんな文章かというと、随筆や、新聞などの記事で、しかし殆どが所謂 ‘ 素人 ’ という人々が書いたものだ。

若い頭と心が求めたものは、簡潔な力強い美文であった気がする。長い学校時代に、こんな文章が好いのだと、いつしか思い込まされてしまったのかもしれない。今、自分にとって心地良く感じられるのは、決して研ぎ澄まされた文章などではない。むしろ、耳慣れぬような難しい言葉で飾られた、非の打ちどころのない立派そうな文章を読むと、脱力してシラケてしまう事もある。求めているのは、下手でも、その人の人柄や生活がナマナマしく伝わる、人間臭い、何処かズッコケたような文章だ。

面白いからと勧められて、周囲の人たちからよく書物や映画のDVDを借して貰うが、その中にも、私にとっての掘り出し物が幾つかあった。大変感動したのは、同人誌の様なもので、文章を大して書いてこなかった人が、必要を迫られて、付け焼刃に寄稿したものらしく、たどたどしいが一生懸命書かれていて、妙に初々しく赤裸々で、読み手の私の心にストレートに響くのだった。

不慣れで口下手な文章は楽しい。幼児の言動の如き意外性に溢れていたりもする。けれど、下手の面白さよりも、私が欲しているのは、文章に滲み出る人間性だ。文のテーマや内容は、当然大事なところだが、ひょっとすれば、その本題よりも書き手の人の心に触れられるか、そこが肝心だ。・・・私は疲れているのかもしれないな、とも思う。癒されたいのかな、など。疲労の加減と関係があったとしても、どうあれ、生活や心が、本人が語る言葉以上にも文全体に匂い立つような、そんな文に出会うと、心は安堵する。

好ましき記事の方は、記者の記事で良いものもあるが、読者の投書欄に、ごくたまに、心を揺さぶられるものがある。新聞に載っているのは、如何にも、どこぞのなにがし、と立派そうな肩書の人々の文だが、たまに、なぜこんな駄文を載せるかと疑うこともある。なぜ、名もなき人の声をもっと拾おうとせぬのか、読者の声も匿名記事であることの意味を思う。堂々と語ることの堂々たる内容にはない、曖昧であることや隠れたところに漂う真実を、なぜか広げようとしないか。NETでない、紙上で選び様々な匿名に多く語らせる、そんな欄があればいい。閉鎖から発展へ。この構想を投書してみようか。

ついでに近頃観た映画 ( イタリア映画も白黒時代のも多く、10本ほどのうち ) でしっくり来たのは、ヴィスコンティの “ 山猫 ” と“ 家族の肖像 ”。四半世紀前に観て良かった作品はつまらなく感じた。音楽にしろ昔から渋好みだったが、以前つまらなく感じたものが今はフィットする。年老いた者の悲哀の心情を描いた作品に、心寄り添うようになったのか、時の流れに委ねつつ・・・。私の文章も、近頃、疲労が漂っているのを感じる。
posted by はるな at 20:22| 東京 🌁| 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

8の月8の日

いい日にしたいと思っていると、朝から幾度も向日葵の花に励まされる。雨が降る前に走り出そう。今年は今年の、夏の八の日。嬉しい心遣いも早速色々舞い込んで、ありがとうの一日。

posted by はるな at 11:58| 東京 ☁| 日記 | 更新情報をチェックする